
浮御堂
浮御堂の正式名は海門山満月寺(臨済宗大徳寺派)。平安時代に比叡山横川の恵心僧都源信が湖上交通の安全と人々の救済を願って建てたとされる。湖中(左)には高浜虚子の句碑が建てられており、「湖も此の辺にして鳥渡る」とある

琵琶湖のほとりにある
堅田漁師の家
「今富佐」
平安時代から漁業と水運で栄えた
近江八景「堅田の落雁」で知られる
歴史ある湖畔の町
松尾芭蕉も三度この地を訪れ
「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」
など数々の名句を残しました
初心者から上級者まで
俳句を楽しむ方のために
宿をご用意しました
京都駅から電車で二十分
京・近江吟行の拠点として
ご利用ください
エアコン、扇風機、温風機、テレビ、金庫、電気ケトル
浴衣、バスタオル、歯ブラシ、シャンプー、リンス、ボディーソープ
台所(冷蔵庫、電子レンジ、オーブントースター)、シャワー室、トイレ(ウォシュレット)
※台所、洗面所、浴室、トイレは家人と共用となります※1階の洋室及び2階全室は家人専用スペースとなります※建物内は禁煙です。











浮御堂の正式名は海門山満月寺(臨済宗大徳寺派)。平安時代に比叡山横川の恵心僧都源信が湖上交通の安全と人々の救済を願って建てたとされる。湖中(左)には高浜虚子の句碑が建てられており、「湖も此の辺にして鳥渡る」とある

松尾芭蕉は湖南の膳所から友人と舟に乗って堅田に赴き宴を催した。このとき「やすやすと出でていさよふ月の雲」「十六夜や海老煮るほどの宵の闇」などの句を詠んでいる。公園内にある「堅田十六夜の弁」の碑には、芭蕉が浮御堂で十六夜の月を愛でたときの様子が記されている

堅田大宮とも呼ばれる堅田衆の総本宮。892 年に法性坊尊意僧正が三嶋明神の分霊を勧請して創建。その後947 年に山城加茂大神を勧請(神田大明神と伊豆大権現)して現在に至る。室町時代には同神社を中心に自治組織が発達し、政(まつりごと)は殿原衆、全人衆による合議で運営された

開祖は臨済宗の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。一休宗純が22 歳から34 歳ごろまで修行した。一休は親しい漁師に借りた舟の中で座禅を組み、闇夜に響く鴉の一声で悟りを得たとされる。芭蕉も訪れ、「朝茶飲む僧静かなり菊の花」の句を残した。森澄雄の句碑もある

蓮如ゆかりの寺。延暦寺によって京都・大谷本願寺を破却された蓮如は、堅田の本福寺などに移り堅田門徒の支援を受けながら宗派の再興を図る。第11世住職の明式(みょうしき)は松尾芭蕉の門人で俳号・千那といった。境内には芭蕉や千那の句碑などがある

漁夫、源兵衛親子の殉教物語「堅田源兵衛の首」が残る。蓮如が三井寺に預けていた宗祖・親鸞の像を引き取りに行ったとき、三井寺は代わりに人の首を持ってくるよう難題を突きつけた。その際、源兵衛が自害し、父源右衛門が首を持参したとされる

平治の乱で敗れた源氏の白旗を守った女性「おとせ」の民話が残る。京の武家に仕えていたおとせは、主家滅亡後、旗を持って故郷の堅田へ逃れたが、平家に追われ旗とともに入水。十数年後、漁師となった息子が旗を握った片腕を釣り上げ、浜辺に埋葬した。以来この地は「おとせの浜」と呼ばれるようになった

湖の最狭部(約1.3キロ)に架かる琵琶湖大橋は、湖東と湖西を結ぶ幹線道として1964年に2車線で共用が開始された。その後1994年に新橋が造られ、現在は2橋4車線で運用されている。湖東から大橋を通過すると湖西を南北に貫く県道558号(北国海道、2車線)と国道161号(湖西道路、4車線)に接続する

居初(いそめ)家の庭園と書院は、天然図画亭(てんねんずえてい)と呼ばれる(国指定名勝、見学は要予約)。江戸時代初期に茶人・千宗旦の高弟、藤村庸軒と、料理の幽庵焼きで知られる堅田郷士、北村幽安(幽庵、祐庵)が協力して作った。小林一茶も訪れ、「湖(うみ)よ松それから寿々(すす)み始むべき」などと詠んでいる

琵琶湖唯一の灯台(高床形式、高さ8m)。現存の灯台としては珍しい木製で明治初期に作られた。大津市有形民俗文化財。今堅田にあり、地元では出島(でけじま)灯台と呼んでいる

堅田の歴史資料や昔の漁具などを展示するNPO法人運営の資料館。入館料1人200円・高校生以下無料(2025年9月現在)。開館時間午前10時〜午後4時。水曜休館。レンタサイクルあり

豪放磊落な性格で、松尾芭蕉の一番弟子といわれた宝井其角の寓居跡。其角は江戸生まれだが、父が堅田の出身。父は江戸で膳所藩(大津市膳所地区)本多家の御典医を務めていた。堅田に遊んだときの句に「蓬莱にあふみの婆々や雪の松」などがある

琵琶湖大橋西詰にある道の駅。滋賀県全域の生産者から仕入れた生鮮品などが並ぶ直売所をはじめ、レストラン、お土産店、コミュニティルームなどがある。営業時間は午前9時〜午後6時

町内には三島由紀夫の『絹と明察』や城山三郎の『一歩の距離』などの文学碑も。また、碑はないものの、他に堅田が出てくる文学作品には、吉川英治の『新・平家物語』、水上勉の『一休』、五木寛之の『蓮如』、司馬遼太郎の『妖怪』などがある

堅田漁港にある芭蕉の句碑。「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」とある。海士の屋は漁師の家、いとどはコオロギの一種で、秋の季語。芭蕉は漁師町の日常を鮮やかに詠んだ。他に「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」「からさきの松は花よりおぼろにて」(以上、本福寺)、「朝茶飲む僧静かなり菊の花」(祥瑞寺)、「鎖明けて月さし入れよ浮御堂」「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」(以上、浮御堂)の芭蕉句碑のほか、宝井其角、三上千那、内藤丈草、高浜虚子、大谷句仏、阿波野青畝、森澄雄らの句碑がある






湖畔の宿 今富佐
〒520-0242 滋賀県大津市本堅田2-18-12チェックイン 〜 / チェックアウト
JR 京都駅 ⇨ JR 堅田駅(湖西線)新快速 約20分、普通 約25分
JR 堅田駅 ⇨ 湖畔の宿 今富佐 東南(湖方向)へ 徒歩 約14分、タクシー 約3分
※ 宿に駐車場はありません。必要な場合は駅周辺の駐車場情報をお知らせします
※ 宿に駐輪場あり。 堅田駅前レンタサイクル などをご利用ください。